世界一長い文に挑戦。
できるだけ長い一文を書こうと思い立って、書き始めてみたのだけど、こんなことに何の意味があるのか疑問になってきたが、私は粘り強さには定評のある人間であるし、そう簡単にやめるのは悔しいのでまだ続いているのだが、まあ、今回はあと40分ぐらいで、母親に晩御飯に呼ばれるから最大でもあと40分しか書けないのであるからして、「失われた時を求めて」ほど長くなることはないであろうし、私はマドレーヌと紅茶の香りだけで原稿用紙10枚も書けるわけでもないし、さらに切り忘れている指の爪が邪魔でキーボードをうまく叩けないし、もう飽きてきたし、とりあえず爪を切ってからにしようと思うので、切ってくるが、まだ終わらすわけにもいかないから、パソコンはつけっぱなしにしていってくるつもりで、実はここで5分ほどかけて爪を切って、トイレに行ってきたのであるが読者諸賢には関係のないことかもしれないが私にとっては重要なことをこなしてきたのであり、こういう下準備を行ったことで、世界一長い文を書いてやろうという気がみなぎってきたのだが、あいにくと、現在、世界一長い文がどれだけの長さかわからないので、それを越えるものを書くと言ってもどれだけ書けばよいのかわからなくなったし、少々疲れてもいるのだが、まだまだ序盤かもしれないが、やっぱり長い文を書くのは疲れることで、となりでももちゃんが応援してくれていなかったらすでにやめてしまっているかもしれない。
おなかがへったし、母親が、ごはんができたと呼んでいるので今回はこれくらいにしておいてやる。
まどマギについて考えた。
まだ、本編さえほとんど観ていないのに。
でも、Wikipediaで予習していたので理解できたと思う。
グロいシーンは無いし、ハッピーエンドじゃないの。
よかったなあ、魔法少女たち、それからファンのみなさんたち。
そんでね、思ったんだよ。
こういう哲学的な内容を含む作品について、皆さんはどういう感想を持つのか?
私が気になったのは、まず、多重世界観のもとでは本当の世界など決められないのではないかということ。
次に人間とインキュベーターの間に善悪の基準が設定できるのかということ。
それから、こういう作品では、論理が破たんしていても魔法だから、という感じでなあなあになっているのではないかということ。
最後に地球のできごとを宇宙全体に適用するのは極端ではないかということ。
こんなもんかな。
こんなことが疑問になって仕方ないという人は、文学部哲学科にいきましょう。
一生抜け出せないほどの迷宮が待っているよ。
それじゃまた。
ミステリーを読んだりしています。
最近お気に入りの曲です。
私が10歳ぐらいのある日、父親は「お父さんは長い出張に出かける。留守を頼んだぞ」と言って出かけて行きました。
次の日、大物政治家の秘書をしていた父親が自殺したというニュースが世間をにぎわせました。
私は、その日以来、父親の帰りを待っています。
ウソだよ!
8年ぐらい前にベストセラーになった、「謎解きはディナーの後で」という小説を読みました。まあまあでしたが、期待はずれかな。
仕方ないので「掟上今日子シリーズ」の第4巻を読み始めるよ。
そんじゃまた。