阪神大震災
100を達成したためか、
書くことが思い浮かばない。
ウチは親戚がみんな兵庫県に住んでいて、
この時期に集まることはない。
私としては、お年玉をあげなくてよいのだ。
どうせ、2000円しか持ってないし。
父の実家が神戸市長田区で、
阪神大震災でつぶれ、燃えた。
現在は同じ場所に、新しく立て直して住んでいる。
阪神大震災のとき、つまり
1995年1月7日私は高校3年生だった。
その日、私は風邪をひいて学校を休んでいた。
高校3年間で唯一の欠席だった。
私がふらふらしながら居間に行くと、
父がテレビに見入っていた。
神戸の街がくずれ、燃えていた。
父は翌日から会社を休んで神戸に向かった。
大阪までは鉄道で行けた。
そこで自転車を買って神戸まで走った。
神戸で家族と再会し避難所に泊まり込んだ。
親戚のほとんどは無事だったが、
私からみて、いとこにあたる中学2年生の
女の子が亡くなった。
大地震様できれば眠っていてください。