梅津慶一 diary

私のブログです。

職人や農業への憧れ。

 

こんばんわ。

 

昨日はくしゃみがひどくて、今日はのどがいたい。

 

なにかのアレルギーか、それとも私の部屋がほこりっぽいだけなのか。

 

 

 

さて、今日書くことは、中島義道氏の25年ぐらいまえの著作「哲学の教科書」に影響を受けていることを始めに書いておきます。

 

 

 

でははじめましょう。

 

さっき、3時のティータイムに、コーヒーを飲んでお菓子をいただこうと思い、ダイニングに降りていきました。

 

すると、テレビで包丁研ぎ職人さんを特集した番組が流れていました。

 

そして、父ちゃんと母ちゃんが熱心に見ていました。

 

見ながら、父ちゃんは

 

「人生をやり直せるなら、こんな職人になりたい」

 

と言っていました。

 

母ちゃんは

 

「プロが研ぐとこんなによく切れるんだねえ」

 

と言っていた。

 

 

 

私はその様子をみていて、安定した人生をおくった人が抱きがちな「一匹狼への憧れ」というようなものを感じました。

 

サラリーマンとして安定してはいるが退屈な仕事をし、上司に怒られ、部下に嫌われした人は、多くの人が、独立願望を抱くようです。

 

会社を辞めて、そば打ち職人になりたいといったやつですね。

 

 

 

私はこうしたリスキーな人生に挑戦するのには反対です。

 

(なんかさっきから、パソコンがぽこぽこと読み込みをしているなと思ったら、マカフィーさんが点検をしてくれていました。おつかれさまです。ひさしぶりに使うパソコンなのでそりゃあ点検が必要ですよね)

 

なぜなら、職人になるのは大変なことであり、下手をすると人生を棒に振ることになるからです。

 

孤独な人ならまあいいんですよ。

 

でも、家族のいる人だと、子供を大学に行かせられないといった問題が起こるかもしれない。

 

さらに悪くすると、借金だらけで家族崩壊するかもしれない。

 

 

 

こんな問題があるのもかかわらず、独立起業して人生失敗する人が後を絶たないのは、日本の企業に問題があるのと、職人的な生き方に魅力があるからでしょう。

 

 

 

このあたりから中島氏の影響が出てくるのですが、人々は職人的な生き方に、お金にはかえられないような特別な価値があると思い込んでいるのではないか。

 

そば職人でもいいし、西陣織の人間国宝でもいいのですが、一心に仕事に打ち込む姿に、何か宗教的な悟りのようなものを感じ取っているのではないだろうか。

 

一言でいうと、職人がかっこいいと思っているのではないか。

 

 

 

そのように思って職人になるのは勝手だが、熟練した職人になるのは、スポーツ選手になるのに似ていて、才能と努力が必要だ。

 

あなたには才能があるのか、何十年間も修行する根性があるのか?

 

 

 

私だって住宅を建てている大工さんを見てかっこいいと思うことはありますが、才能が無いのが明明白白なのでどうしようもありません。

 

 

 

ちょっと休憩。

 

このパソコンのキーボードは打ちにくい。

 

 

 

休憩終了。

 

 

 

「職人に憧れる問題」と似ていると私が思っているのが、田舎に引っ越して農業をやるという選択である。

 

転職して就農する、というのは今やブームのようになっていて、雑誌やテレビでしきりに就農が紹介されている。

 

就農1年目ぐらいの人が、いやあ、サラリーマン時代とは比べ物にならないぐらいに充実しています、などといっている。

 

だが、10年、20年続けられるのか?

 

 

 

私はかなりの人が脱落すると考えている。

 

理由はいくつかある。

 

①農村の村落共同体になじめないから。

 

②先輩の高齢者たちが死んだり、施設に入ったりしていなくなっていくなかでノウハウが受け継がれず脱農を余儀なくされる。

 

③温暖化が進み、農業や漁業の方向転換が求められる中で、適応して栽培する作物を変えたりできない。

 

④もしかしたら、これが一番の問題かもしれないが、海外から輸入される安い農産物に勝てない。

 

 

 

 

 

職人や農業に対する安直な憧れを捨てよ。

 

 

 

これが私が言いたいことです。

 

 

 

 

どんな職業にも適応できなかった私のゴミのような意見でした。

 

 

 

読んでくれた方、どうもありがとうございました。

 

 

じゃあまた今度。