梅津慶一 diary

私のブログです。

若者の学力について。

 

こんにちわ。

 

今日は、いま読んでいる本のことを書こうかと思っていたんだけど、もっと大事な問題があったので、そっちにします。

 

 

 

今日の朝日新聞1面トップの記事は『ルポ2020 カナリアの歌』の第5回でした。

 

内容としては、若者たちが政治や社会について興味を持っていない、ということをいくつかの具体例をもとに論じています。

 

私はこの記事の内容に反対したいのではなく、この記事から考えさせられたことを書いてみようと思います。

 

 

 

まず、記事中で日本財団が行ったアンケートの結果の一部が紹介されています。

 

それによると、日本の18歳前後の若者たちは、政治に興味を持っておらず、将来のことをあまり考えていないとのことです。

 

 

 

どうしてこんなことになってしまったのでしょうか?

 

私は大学受験を目標とした学習内容が原因だと考えます。

 

高校生たち、特に進学校の生徒たちは、難関大学への合格を目指した勉強をしており、政治的な問題について考えたりする授業は行われていません。

 

むしろ逆に、そんな授業をしたら、文部科学省からきついお仕置きが行われるでしょう。

 

15年ほど前に行われた「ゆとり教育」では、こうした日本のやり方が変わりそうになりましたが、各界から、「子供たちの学力が下がっている」としてもとのやり方に戻ってしまいました。

 

私は当時、学習塾の講師として学習内容が変わっていく様子を見ていたのですが、「ゆとり教育」の結果がすべて出る前に、「学力」だけをとりあげて、「ゆとり教育」は失敗だったと決めつけられてしまったように思います。

 

そもそも、教育においてペーパーテストの成績だけがすべてではないと思います。

 

よく、国際的な学力の指標としてPISAの成績が持ち出されます。PISAとは経済協力開発機構OECD)がおこなっている国際的な学力試験です。

 

この試験で、日本はトップレベルだったのに最近は少し順位を下げているということがしばしば報道されています。

 

しかし、私が思いますに、このペーパーテストで正確に判定できるのは算数・数学の実力ぐらいであって、論理的思考力や記憶力、論述能力などは測定できないと思います。

 

さらに、先進国中の先進国である、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツはこの試験で上位には入っていません。

 

それなのに、ノーベル賞アメリカやドイツ出身の人物が受賞することが多い。

 

なんで、こんな現象が起こるのでしょうか。

 

思いますに、政治や経済、生物学や環境問題などについての知識や能力は、このテストでは計ることができないのです。

 

 

 

教育の到達度を考えるに当たって、PISAだけに頼っていることが問題なのです。

 

それでは、どうすればよいのかというと、国際討論会での成績を参考にしたり、数学オリンピックのような大会をもっとたくさんつくって判断してはどうでしょうか。

 

数学オリンピックに似たものが、生物分野などで行われはじめています。

 

同様に、英語、政治経済、地理などの分野でも、国際大会をおこなえば、学力を多面的に評価することができるでしょう。

 

 

 

日本の教育は結果が数字であらわされるものに偏りすぎている。

 

もっと広い視野に立って考えていくことが重要だと思います。

 

 

 

 

 

じゃあまたね。